インスタ映えと「いいね」
インスタ映えに関する、ふかわりょうさんの新聞記事がとても面白かった。
以下抜粋
人の「いいね」よりも、自分の「いいね」が一つあればいい
所謂「インスタ映え」と呼ばれるフォトジェニックなモノを撮ることが日常のメインとなってしまった人達に対する警鐘のような言葉が述べられていた。
さらに痛快な皮肉も
以下抜粋
彼女たちは、インスタ映えする棺桶を選ぶのでしょうか。
むー、一本とられた感じ。
でも、女性に多いようにも思えるので彼女と使っているのかな?気持ちはわからなくもないですがこれは、男性にも言えると思う。
そして自分自身を振り返る。
思い当たる節がある。笑
僕自身、かなり身近な日常の小さな部分を切り取ることが好きだ。まずその中で、インスタ映えとは言わないもののフォトジェニックなモノを探すという行為はもはや「日常」を通り越して「呼吸」に近しい。ただそれ自体はスナップ写真の本質の様に思うのでそこは個人的に別にいいじゃないか?と思っている。
問題はその先にある「これ、いいねたくさん貰えそうだな」という感覚。これが恐らく「インスタ映え」を欲する正体だ。ふかわりょうさんが「いらない」と思った感覚のように思う。
ここから更に面倒な話をすると、「いらない」と言う感覚カッコいいな。と思う自分もいる。いいねは本質的に欲しいんだけど、「いや、いいねとか意識してないっすから」みたいなのがカッコいいから気にしてないフリをしている。それが猛烈にダサくて恥ずかしなくなる。ふかわりょうさんは恐らくちゃんと「いらない」と思っているからこそ、そんな感情になった。
ただ、家族や身近な人の写真は自分の「いいね」があれば他人の「いいね」はいらないと心から思えるのが不思議だから大切にしたい。
後は本当に魅力や発見を伝えたいと思ってSNSに投稿をすると言うのはなんかいいよね。
本当に撮りたいもの、伝えたいものはなんなのか?
簡単なようで難しいね。
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