僕とカメラとおじいちゃん
これは自分の中の今の想いとかを、何か残しておきたくて書いてみた。思いのほか長くなってしまった。
僕は高校生になると写真部に入った。写真部では自分のカメラがある人はそれを使うという事だった。僕はおじいちゃんからNikonのFGと50mmF1.4のセットを譲ってもらった。当時よくわかんないけど、とりあえずおじいちゃんの言う通りに露出だけ合うように撮影をした。写真部では現像液に印画紙を滑らせ、シミが広がるように写真が出来上がった時には友達と一緒に感動した。それでも特別写真を趣味としているわけでも、腕が上がるわけでも無かった。下手すぎる写真を撮って友達にネタにされたりしていたくらい。それでも特に気にすることもなく撮り続けた。アートには無縁だった僕にとっては作業に近かった。高校3年くらいからは写真部の経験が少しは活かせるかもと思い、カメラ屋でバイトを始めた。この頃からは少しは写真て面白いなって思い始めた。コンデジや、デジタル一眼レフなんかを触り始めたりして、ゆっくりゆっくりのめり込んで言った。大学を卒業し、就職はバイトとはまた別のカメラ屋さんで働くことになった。
おじいちゃんはカメラが大好きで、馴染みのカメラ屋に入り浸っていろんなカメラを買っていたそうだ。僕が写真やカメラが好きになったりカメラ屋で働くようになったりしたのは嬉しかったのだと思う。自分は歳もとって重たいカメラはもう使えないし、写真もあまり撮らなくなったと言っていた。そして、おじいちゃんのカメラは定期的に僕のところへ送られてくるようになった。年季の入ったアルミケースにいろんなフィルムカメラやレンズが入っていた。いつも「もうこんだけで最後や」と伝言があった。毎回そう言ってるくせに次がくる。おじいちゃんのカメラは今の中古カメラブームの中でも結構人気のモノが多かった。そして何より自分が使いたいと思うものが多くて嬉しかった。僕はとても運がよかったようだ。でもその所為で見事にカメラにハマってしまった。
ある日自分の結婚式で使う子供の頃の写真を探していると明らかにおじいちゃんが撮ったであろう、生まれたての僕の写真があったりした。自分の息子もおじいちゃんのカメラで撮りたいなあと思った。結果、僕の息子が産まれた頃には、毎日のようにおじいちゃんのカメラやレンズを使って息子を撮っていた。なんかそれがまた嬉しかった。でももっと嬉しかったのはおじいちゃんが僕の息子を抱っこしてるところをおじいちゃんのレンズで撮れた時だ。なんとも言えない気持ちになった。
でもそれから少しするとおじいちゃんは体調が悪くなってきて、いよいよと言う感じになってきた。自宅で療養することになって、特に最後一週間くらいは一気に病状が悪化した。あまり顔を見せる事も出来なかったから時間を作って妻と息子を連れておじいちゃんに会いにいった。基本は寝ていて、たまに起きるけど腰やお腹が痛そうだった。僕が話しかけてもやっぱり苦しそうであまり元気はなかったが、まあ仕方ないよなと思った。でも息子を見せるととても嬉そうな顔をして、「おー、変わったなあ。でも髪の毛は変わってないなあ」と息子のヒヨ毛を見ながら言った。その後寝たままだけどハイタッチしたりしてバイバイした。きっと僕だけではあの嬉しそうな顔を見ることは出来なかっただろうなと思って、妻と息子を連れてきて本当に良かったと感謝した。
その次の次の日、いつも持ち歩いてるデジタルカメラじゃなくて何となくNikonのFGだけを持って仕事に出た。その出勤途中、おじいちゃんは亡くなった。なんか、もう一度改めてカメラを渡されたような気がした。そして今ならFGで、高校生の頃よりいい写真が撮れる気がした。
おじいちゃんありがとう。
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